令7 1学期始業式より(R7/4/8)「達巻起こせ!東高DNA!! ~過去未来を紡げ青春時代~」

昨日の入学式から安城東高校は新1年生を迎えました。新1年生の新しい制服を見ると、いよいよ新しい年度が始まるのだという、非常に新鮮な気持ちになりますね。今、みなさんには一人一人それぞれに心に期することや目標があるでしょう。みなさんはぜひ、それらに向けて、思いついた小さなことでよいので、すぐに行動を起こしてみて下さい。そのうちにではだめです。そして自分で考えて、自分の意志で自主的に動いてみて下さい。 さて、令和7年度はみなさんもご承知の通り、安城東高校にとって創立50周年の大きな節目の年です。創立50周年に向けた令和5・6・7年度の3か年は、それぞれの年に、学校全体の年度別目標、つまりスローガンを作っています。それは生徒のみなさんが、このようにあってほしいという願いを言葉にしたものです。令和5年度のスローガンは、「安城東高校の大いなる挑戦!〜それは青春応援団!」でした。その意味は、「どんな小さなことでもよいから、何か挑戦してみよう。そしてその挑戦をみんなで応援しよう。応援の輪を作って、新しい学校文化を育てる応援団になろう、ということでした。つまり、安城東高校という集団が結束して、助け合いながら共に成長しようという意味です。 そして令和6年度のスローガンは、オリンピックイヤーに合わせて、「安城東高校の大いなる挑戦! 〜一人一人が代表選手!東高は青春選手村」でした。みなさんは一人一人が安城東高校の歴史を作るかけがえのない代表選手であり、また自分の人生における代表選手でもあります。学校は選手をサポートする選手村です。令和5年度のスローガンは、応援という、友達や自分を外から応援する客観的立場からの視点でしたが、令和6年度は視点を主体的立場に変えて、一人一人が「代表選手」という自覚をもって、自ら考えて行動する自主的な意識へ発展してほしいという願いが込めてあります。 この2年間のスローガンは無くなったわけではなく、まだ今年も継続中です。この2つのスローガンを踏まえた上で、今年度のスローガンはこのようにしました。「達巻起こせ!東高DNA!!…

令6 3学期終業式より(R7/3/19)「イチローさん殿堂入り『1票足りなくてよかった』について~リフレーミング~」

令和6年度最後の終業式ということで、久しぶりに全校生徒が体育館に集まりました。3年生が卒業していないので、少し寂しいですが。今、体育館の中を見回すと、以前と変わった部分が3つあります。それはエアコン、舞台横のサイドスクリーン、舞台の上で看板などを吊り下げるバトンが設置されたことです。サイドスクリーンとバトンは、同窓会より50周年の記念品として寄付していただいたものです。これから大切にすると同時に、どんどん有効活用していきたいと思います。 さて、今年の1月22日に、元野球選手のイチローさんが、アメリカメジャーリーグでアジア人初となる殿堂入りを果たしたというニュースが入ってきました。殿堂入りとは、ある分野で業績を上げ、その進歩・発展に貢献した人の功績を称え、殿堂名簿に載ったり、殿堂博物館に展示されるなどして、ずっと記録として残されるようになる、非常に名誉なことです。その選出は、資格をもったベテラン記者の投票によって行われます。イチローさんは現役時代の圧倒的な成績によって、殿堂入りは確実視されていたのですが、問題はその得票率で、満場一致の満票選出かどうかが注目の的でした。長いメジャーリーグの歴史の中で、満票選出は過去にたった1人しかいません。で、結果はどうなったかというと、殿堂入りはしたのですが、満票には1票足りませんでした。この結果に対して、投票しなかったのはいったい誰だとマスコミが大騒ぎしましたが、当のイチローさん本人はこんなことをコメントしました。「1票足りないというのはすごくよかったと思います。人っていろいろなことが足りないけれど、それを自分なりの完璧を追い求めて進んでいくのが人生だと思うんですよね。生きていく上で不完全だから進もうとできるわけで。やっぱり不完全であるというのはいいなと。」これは実に名言だと思いました。恐らくイチローさんの気持ちの中には、満票選出されずに残念な気持ちもあったと想像しますが、それを敢えてプラスの前向きな方向へ転じる発言をしたのです。 そこで私が思い浮かべたのは、昨年NHKの大河ドラマ「光る君へ」にも登場していた藤原道長が詠んだ有名な和歌です。「この世をば…

令6 第47回卒業証書授与式より(R7/3/1)「人生如水 on the way」

式 辞 本日三月一日は、暦の二十四節気で言うと、立春の次の雨水から啓蟄の間にあたります。二十四節気とは、一年を季節に合わせて二十四に分けた区分のことで、立春、春分、夏至、秋分、冬至、大寒などがあります。雨水とはあめとみずと書いて、冬の雪や氷が雨や水に変わる頃を指します。また、啓蟄の「蟄」とは冬眠している様子を言い、「啓」とは行動を起こすことです。つまり啓蟄とは、冬ごもりをしていた生き物が、穴から出てくることをいいます。 そんな季節の変わり目の中、弥生三月早春の今日の良き日に、来賓の皆様のご臨席を賜り、愛知県立 安城東高等学校 全日制課程 普通科の卒業式を無事挙行できますことを、心より感謝申し上げます。四十七回生のみなさん、ご卒業おめでとうございます。また、保護者の皆様、お子様のご卒業、誠におめでとうございます。教職員一同、心からお祝い申し上げます。高校卒業は、お子様の自立に向けた一つの大きな節目として、少しほっとされているのではないでしょうか。 さて、四十七回生のみなさんは、三年前の令和四年四月に、安城東高校へ入学してきました。安城東高校は、愛知県の中心を流れる矢作川や、安城市が農業都市として成功をおさめる源となった、明治用水の近くに位置しています。川と用水と田園に囲まれた、自然豊かな安城東高校での三年間は、嬉しかったことも辛かったことも、川の流れのように瞬く間に過ぎ、その成長のあかしが稲穂のように、みなさんの心の中に実ったことでしょう。今、みなさんは、二十四節気の雨水のように、高校生から生まれ変わろうとし、また啓蟄のように、新たな世界に向かって行動を起こそうとしています。 人生はよく水の流れに例えられます。例えば古代中国で成立した『老子道徳経』では、「上善水のごとし」といって、柔軟に形を変えながら、強い性質をもつ水のように生きることを説いていますし、鴨長明の『方丈記』の冒頭部分「ゆく川の流れは絶えずして」も有名です。空から舞い降りた一滴の雨粒が、上流の小さな川から大きな河へ成長して広い海へ合流し、やがて水蒸気に生まれ変わった後に、また地上へ降り注ぐ。そんな水の循環のように人は成長し、また次の世代へバトンを渡していきます。その例えをみなさんに置き換えるなら、一滴の滴として生まれたみなさんは、川幅が狭くて急な流れの上流で、あちこちの岩にぶつかりながら思春期を過ごし、しだいに川幅も広がって水量も増え、安定した流れになりつつあるのが現在の状態ではないでしょうか。位置的には、「社会」という名の広い広い海の近くにいるはずです。卒業後に就職する人は既に河口寸前ですし、進学する人は河口手前数キロメートル辺りでしょうか。みなさんは遅かれ早かれ、海に出なけばいけません。でも、社会という海の中で、いつか波にもまれ、おぼれそうになることもきっとあるでしょう。そんな時は原点に立ち返って、安城東高校での三年間を糧に、広い視野をもって、足元をしっかり見ながら前に進んで下さい。また、水のようにしなやかで強い存在でいて下さい。そしていつの日か校訓である「達」の境地に至り、次の世代へ恵みの雨を降らせることができるように成長していって下さい。 また、人生は旅にもよく例えられます。それに関連して、私が卒業生を送る時にいつも言っていることがあります。それは、今、自分の人生の旅に不満足であっても、満足していても、それは英語で言うon…

令6 3学期始業式より(R7/1/7)「創立50周年記念事業について」

令和7年、2025年が始まりました。まず、そ…

令6 2学期始業式より(R6/9/2)「東校の遣豪使~実体験から想像体験へ~」

長引いていた台風10号が過ぎ去りました。今、青空も見えています。これから暑さも少しは和らいでくるはずです。パリオリンピックでは、結果的に海外開催のオリンピック史上最多のメダル数を獲得しましたが、結果を出した選手も出せなかった選手も、みんながんばりました。お盆の前には九州で大きな地震もありました。そして夏休みが終わりました。さあ、2学期のスタートです。 みなさんは夏休みをどのように過ごしましたか?今年になってずっと言っていることですが、2学期も引き続き、安城東校の、そして自分の人生の、かけがえのない代表選手として、楽しいことも苦しいことも併せ飲んで、充実した高校生活となるように、前と上を向いて進んで行きましょう。   さて、私は夏休み中に奈良に旅行に行って、日本の古代、飛鳥奈良時代の史跡を見てきました。特に平城京跡では復元された遣唐使船や遣唐使解説コーナーがあって、とても興味深く見ることができました。その時改めて思ったのは、古代の日本は、中国大陸や朝鮮半島からの知識や情報や技術なしでは、とても発展することはできなかったということです。そして、それらを伝える人間の交流があったからこそ、日本の社会や文化は発展したのです。それは古代に限らず、明治時代初期に欧米に派遣された使節団や現代の留学生も同じです。 なぜ私がそんなことを考えたかというと、ちょうどその前に訪豪団としてオーストラリアの姉妹校に行ってきたからです。PTAの方が2人、生徒15人、教員3人の20人で、7月28日から8月2日まで姉妹校であるベイサイドカレッジP-12を訪問してきました。 参加した人たちは、そこで自分の価値観を揺さぶるような大きな経験ができたはずです。また、視野もかなり広がったはずです。具体的な交流の様子は、この後の訪豪団に参加した生徒のみなさんからの報告会にお願いしますが、私からは姉妹校の歴史や場所など、全体的な紹介をしたいと思います。姉妹校に行ったのは代表の人だけだから自分には関係ないことだと考えずに、ぜひみなさんも情報の共有と想像をして下さい。その共有と想像が、今日の私の話で一番言いたいことです。 まず、安城東高校の姉妹校の歴史です。安城東高校の創立5年目の1980年にはシドニー市のランドウィック・ノース校と姉妹校提携の調印をしています。現在の姉妹校であるベイサイドカレッジP-12の前身となるぺイズレー校と姉妹校提携したのは、東校創立10年目の1985年でした。その後、シドニーのハンターズヒル校とも姉妹校提携しましたが、現在までお付き合いが続いているのはベイサイド校だけとなりました。 ベイサイド校は、オーストラリア南海岸のメルボルン市の隣にあるホブソンズベイ市にあります。また、ホブソンズベイ市は、安城市の姉妹都市でもあります。ベイサイド校にはアルトナノース校、ウィリアムズタウン校、ペイズレー校の3つのキャンパスがあって、日本の小学生、中学生、高校生にあたる1~12年生がそれぞれの学校に通っている一貫校です。 3つのキャンパスは近くにあって、それぞれ車で10分以内の場所にあります。 また、ホブソンズベイ市は海のすぐ近くにあって、まるでディズニーシーみたいな、非常に美しい風景が見られる街です。 これはペイズレー校の正門と校舎です。 授業風景です。カリキュラムに日本語の授業があります。 また、各キャンパスに日本を紹介するコーナーがあります。安城東高校の校訓「達」が飾られていました。 アルトナノース校です。どのキャンパスも敷地が広くて、校舎は2階がない平屋の建物でした。 訪豪団が訪問するたびに記念碑が作られていました。実は安城東高校も訪日団が来るたびに記念プレートを作っています。昨年のものが正門の花壇に、昔のものが北門横にあります。 アルトナノース校は小学校と中学校が一緒になった学校で、小学生と中学生が一緒になって体育の授業をやっていました。 「We…

令6 1学期終業式より(R6/7/19)「君たちはどう生きるか」

六月十日・十一日に、本校最大の学校行事の…

令6 1学期始業式より(R6/4/9)「一人一人が代表選手!東高は青春選手村」

昨日より安城東高校は新1年生を迎え、いよ…

令5 3学期終業式より(R6/3/19)「過去の輪島市交流と来年度の国際交流」

令和5年度が終わろうとしています。みなさんの令和5年度は充実していたでしょうか。それとも不完全燃焼だったでしょうか。3月1日の卒業式で、私は3年生に対して次のようなことを言いました。「現状に満足や絶望すること無く、常に人生の道の途中だという認識の中で、しっかり前を向いて進んでいってほしい。」同じ言葉を今、1・2年生のみなさんに贈ります。4月からの新学年に向けて、しっかり前を向いて前進して下さい。 さて、これを見て下さい。これは式典や表彰で使われる賞状盆です。この賞状盆は黒く塗られていますが、どのような方法で塗られていると思いますか。これは能登半島の輪島市の伝統工芸である輪島塗りでできており、1995年、平成7年に輪島市から本校に感謝の意を込めて寄贈されたものです。今、輪島市がある能登半島は大変なことになっており、以前みなさんにもメールとHPでお知らせしましたが、本校同窓会の11回生の方々が中心となって、1月22日(月)に4トントラックで支援物資を輪島市に届けました(リンク:本校同窓会が能登半島輪島地域へ物資等を支援しました)。その様子は、中日新聞やケーブルテレビ「キャッチ」でも報道されました。また、みなさんには、募金の協力をしていただきました。ご協力ありがとうございました。本校と輪島市との交流は40年以上の歴史がありますが、その歴史は同窓会HPの中にある「わじま・あんじょう友の会」(リンク:わじま・あんじょう友の会トップページ…

「碧海野だより」第154号(3月1日発行)より「冠沓(グローカル)」

ー『碧海野(おうみの)だより』(安城東高校PTA通信)第154号(3月1日発行)よりー   「冠沓(グローカル)」 第四十六回生のみなさん、そして保護者の皆様、ご卒業本当におめでとうございます。 2学期終業式でもお話ししました(HPにも載せてあります)が、これからは情報AI革命が更に進み、変動、不確実、複雑、曖昧な社会を生きていかなければなりません。しかしそのような時代だからこそ、逆に人間の繋がりが重要だと思います。その意味でも、三学期始業式でお話ししたように、安城東高校の同窓という縁や繋がりを、自分の持っている資源の一つとして大事にしていって下さい。 さて、私が以前作った「沓冠折句(くつかぶりおりく)」の歌を、「馬の鼻向け」としてみなさんにお贈りします。(「馬の鼻向け」とは古典『土佐日記』の「門出」にも出てくる言葉で、「はなむけ」の語源となったものです。ぜひ調べてみて下さい。)「沓」は現代の靴につながるもので、履き物のことです。「冠」は地位…