安城東に「なまず」がやってきた!

●令和5年6月29日(金)に、生徒代表から成る防災セミナーメンバーの協力のもと、地震防災対策の啓発及び訓練活動の一環として、起震車による「揺れ体験」を本校で行いました。

●この企画に来校した愛知県地震体験車「なまず号」に、一般の生徒163名が乗り込み三河地震を再現した揺れを体験しました。下の動画を是非ご覧ください。1945年に三河地区を襲った「三河地震」(クリック!)の揺れに対して、私たちはどんな備えをすることができるのでしょうか?

「三河地震」当時の記録を抜粋します。(内閣府防災情報ページから引用、上記クリックより閲覧できます!)

「1944(昭和19)年12月13日に名古屋の軍需工場がB29による爆撃を受けるようになると、空 襲への備えが一層強化されるようになった。このため、三河地震の前日の夜も、「枕もとに防空 頭巾をおき、モンペをはいて寝ていた」(女性・1926(大正15)年生まれ・現西尾市下永良町で 被災)注1というように、脱出、避難が容易になるような準備が多くの家庭でなされていた。な かには、「枕もとには防空頭巾のほか、救急袋(下着、水筒、カンパンなど)を置いておいた」 (女性・1929(昭和4)年生まれ・現安城市桜井町で被災)というものもあった。さらに、約 1か月前の東南海地震の経験から、「夜寝るときには防空頭巾を枕もとに置き、足袋をポケット に入れていた。東南海地震以降、地震に敏感になっていたので、ダイドコに家族が集まって寝 るようにしていた」(女性・1915(大正4)年生まれ・現西尾市上町で被災)という場合もあっ た。しかし、地震による揺れが激しく、枕もとに備えたはずのものがどこかへ飛んでいってしまっ たり、気が動転したりしたことから、せっかくの非常持ち出し用物品もあまり活用されなかっ た。」https://www.bousai.go.jp/kyoiku/kyokun/kyoukunnokeishou/rep/1944_tounankai_jishin/pdf/9_chap5.pdf