【退任のご挨拶】心の情景〜「The road not taken.(歩む者のない道)」

Robert Lee Frost「The road not taken.(歩む者のない道)」(1916)

The road not taken
Two roads diverged in a yellow wood,
And sorry I could not travel both
And be one traveler, long I stood
And looked down one as far as I could
To where it bent in the undergrowth;

黄色い森の中で道が二つに分かれていた
残念だが両方の道を進むわけにはいかない
一人で旅する私は、長い間そこにたたずみ
一方の道の先を見透かそうとした
その先は折れ、草むらの中に消えている

Then took the other, as just as fair,
And having perhaps the better claim,
Because it was grassy and wanted wear;
Though as for that the passing there
Had worn them really about the same,

それから、もう一方の道を歩み始めた
一見同じようだがこちらの方がよさそうだ
なぜならこちらは草ぼうぼうで
誰かが通るのを待っていたから
本当は二つとも同じようなものだったけれど

And both that morning equally lay
In leaves no step had trodden black.
Oh, I kept the first for another day!
Yet knowing how way leads on to way,

あの朝、二つの道は同じように見えた
枯葉の上には足跡一つ見えなかった
あっちの道はまたの機会にしよう!
でも、道が先へ先へとつながることを知る私は
再び同じ道に戻ってくることはないだろうと思っていた

I shall be telling this with a sigh
Somewhere ages and ages hence:
Two roads diverged in a wood, and I took the one less traveled by,
And that has made all the difference.

いま深いためいきとともに私はこれを告げる
ずっとずっと昔 森の中で道が二つに分かれていた。
そして私は… そして私は人があまり通っていない道を選んだ
そのためにどんなに大きな違いができたことか

(訳者 川本 皓嗣)

●かつて私は、全国から選ばれた小中高の教員によるアメリカ教育調査使節団の長として、カリフォルニア州とミズーリ州の学校や教育施設を訪問したことがあった。その時に出合ったのが、この詩「The road not taken.」(1916)である。

作者は、サンフランシスコ生まれのロバート・リー・フロスト(1874-1963)、4度にわたるピューリッツァー賞受賞(クリック!)に加え、ケネディ大統領の就任式で自作の詩を朗読するという名誉も与えられた国民的詩人である。「The road not taken」は、アメリカの多くの学校で、幼いころから朗読する詩(クリック!)であることをその時に知った。『対訳フロスト詩集』(岩波文庫)によれば、オバマ大統領も、フロストの詩に感銘を受けたとされる。日本では、皇后(当時)美智子さまが大戦中の中学時代から愛してきた詩人として紹介している(1998第26回国際児童図書評議会ニューデリー大会基調講演「子供の本を通しての平和-子供時代の読書の思い出-」、宮内庁HPクリック!)。

●私がこの詩に触れた時、正直いって、「小学生が朗読する詩としては、かなり難解ではないか」と感じた。でも、その後も時として思い出し、繰り返し朗読していると、何とも味わい深いものかと思う。人生は選択の連続であり、実際には「選んだ道」しか存在していないのだが、その時、その後の心の情景をしっとりと描いているからである。今では、私にとってのお気に入りの作品となった。

●かつて、村上春樹は、『ダンス・ダンス・ダンス』(講談社文庫)で、「文化的雪かき」という言葉で作家の仕事を語り、母校早稲田大学の入学式(2021)において次のようなことを語った(式辞全文クリック!)。

「『心を語る』というのは簡単そうで、難しいんです。僕らが普段、『これは自分の心だ』と思っているものは、僕らの心の全体のうちのほんの一部分に過ぎないからです。つまり、僕らの『意識』というのは、心という池からくみ上げられたバケツ一杯の水みたいなものに過ぎないんです。残りの領域は、あとは手つかずで、未知の領域として残されています。僕らを本当に動かしていくのは、その残された方の心なんです。意識や論理じゃなく、もっと広い、大きい心です。では、その『心』という未知の領域をどう探り当てればいいのか。自分を本当に動かしている力の源をどうやって見つけていけばいいのか。その役割を果たしてくれるものの一つが、『物語』です。」

●雪かきの仕事は大変である。手順を整え、いろいろな道具を使って、日々繰り返さなければ雪国では生活ができないし、春を迎えることはできないだろう。そう、やがて訪れる春の「物語」(情景)を期待するからこそ、こうして私たちは、少し背伸びをして、「知的」な雪かき(クリック!)をガリガリと繰り返しているのである。そう思うと、様々な本に出合い、「知的」な雪かきをしている私たちの営みは、少しだけ作家の仕事に通じるものがあるのかもしれない。作家と読者との対話が描くのは、過去と現在を起点とした新しい情景である。

●フロストが描く「歩む者のない道」とは、その時には選ばれなかった、もはや今では存在しない戻ることのない道であるけれども、村上春樹が述べた「未知の領域」、「もっと広い、大きい心」、「自分を本当に動かしている力の源」を探り当てるヒントであると思う。 広漠と広がる森の景色にいざなう英文で書かれたこの韻文を繰り返し朗読していると、そんなことを感じる。だから、私は、「歩む者のない道」」をしっかりと記憶に留めたいと思う。

●そうこうしているうちに、フロストが亡くなった年に生を受けた私は、今年、5回目の卯年を迎えることになった。お世話になった皆様への感謝の気持ちは絶えない。3月25日(土)の午後からは、本校吹奏楽部定期演奏会「碧海野コンサート」(クリック!)に向かう。これが私にとっての最後の学校行事である。

36年間の教員生活を振り返ってみると、それは、決して仕事ではなかったと思う。私自身の生き方そのものだった。だから、私ができることをもう少ししようと思う。これから先、私は何を選択していくのだろうか。「歩む道」と「歩む者のない道」が描く心の情景に励まされながら。

<完>

(2023年3月発行 安城東高校「図書館報」掲載原稿を土台に編集)

愛知県立安城東高等学校第3回生・第14代校長(2021年4月〜2023年3月) 村瀬 正幸