知的な「雪かき」に思う(2021年4月7日発信)

●令和3年4月7日、1学期始業式(式辞)では、「知的な<雪かき>」の話をしました。その内容の一部は、次の通りです。

○つい先日、作家村上春樹は、母校早稲田大学の入学式において、「わたしたちが普段、これが私の心だと思っている部分は、バケツ一杯にくみ取られたほんの少しのものでしかなく、実は気づかない心の部分がいっぱいあって、小説は、その部分に踏み込んで物語にしていく。小説で心を一層豊かにしたいと思っています。」と語りました。確かに、普段気づかない、いくつかの心の引き出しがあるのですね。

○村上春樹にとって、小説を書くことは「文化的雪かき」(1988「ダンス・ダンス・ダンス」)です。普段気づかない心の引き出しをあけて、ああだこうだと詮索(Snoop、*これがスヌーピーの語源です!)して記述する作業を「雪かき」として日常化しているわけですが、私は、それをもっと広い視点からとらえてみようと思います。

○私は、この高校で、「どんな知的な<雪かき>」をしたのか。今の私をとらえて離さない二つの「シャベル」がありました。高校2年生の時に、大学に入学したら必ず成し遂げようと決めた二つのこと、一つは、世界史の授業で学んだインドのこと、必ず一人でインドに行こうと決めました。もう一つは、山岳系のサークルに入部して山登りを始めたいということ、山登りは、当時は人に教えてもらわないとできないと考えていたことでした。この2つが今の私の生き方の原風景です。

○この二つの「シャベル」で「どんな雪かき」をしてきたか、しているか、その内容については、このHP「日日是好日」にて、エッセイとしてお伝えしています。2・3年生の皆さんは、これまで何を見つけましたか、どんなことを考えて高校生活を送ってきましたか?1年生の皆さんはこれからが楽しみですね。

●この「知的な<雪かき>」について寄せられた東高生の意見は、1週間で108通に及びました。Classiを通して、全校生徒の1割がレスポンスしてくれたことになります。以下に主なものを掲げます。

<1年安城北中出身>「雪かきは全体をまばらに行うのではなく、ある1点をかいたほうが効率的。高校では、教科・それ以外の活動にしろ、得意なものを伸ばすことが大切だと感じました”」

<2年東山中出身>「自分の心のあり様を掘り下げる行為を雪かきと称してよいのか、疑問に感じました。なぜなら、屋根などの損壊を防ぐ目的で行われる雪かきと、心を掘り下げる、広げる行為には大きく隔たりがあると思うからです。・・・」

<3年六ッ美北中出身>「先生が言っていた、能力にはつながりがある、という言葉と同じように、いろんな方向から雪かき掘り進めれば、他の掘った道とつながると思いました。いろんな方向から掘り進めていけば、他の掘った道とつながるかもしれない、いろんな人の話をつなげていくのも「雪かき」なのかな、と思いました。

<3年桜井中出身>「少し調べてみたら「文化的雪かき」という言葉が出てきました。これも村上春樹さんの小説で出てきた言葉らしいです。「文化的雪かき」の現代版が「知的な雪かき」なのかもしれません」

<3年幸田町立北部中>「その知識があるかないかで、ちょっとしたことが面白かったり、楽しかったりした経験があります。旅行などがその例だと思います。積もっていた雪をかけて視野が広がることでいろいろなものが見えてくるのだと思います。
また、雪かきは地味かもしれないけど、そこを通る人が滑って転んで、足をくじいたり、骨折したりしないで済む。いつか来るその時のための準備の側面もあるのかなと感じます。1人でもできるけど、みんなとやった方がずっと好率的です。そのためにも学校やいろいろな人との対話が必要だと思います。」

<3年鶴城中出身>「「知的な雪かき」というのは、まだ見えていない自分の好きなことや感じていることを、見つけるためのことだと私は捉えました。学校の授業や先生方、クラスメイトとの対話はそのためにあるということに気付きました。」

●一つの言葉でも、ひとり一人が思い浮かべることは様々です。それは、言葉は、「私」という固有の生活経験をもとに解釈されるからです。だから、人に意見を述べるとか、人と語るという行為は、自らの生活経験を振り返ることにつながります。そして、コミュニケーションを通して他者の生活経験にも触れることが可能になります。私たちは、多様な生活経験に触れながら、自らの立ち位置を確かめながら人生を切り拓く存在なのでしょう。だからこそ、異質な他者との対話(「他者の靴を履く」))が必要なのです。

村瀬@学校長