三笑の春(2022年1月7日発信)

●令和4年1月7日(金)、3学期終業式(式辞)では、今年の干支(えと)「壬虎」(みずのえのとら)にちなんだ朗読を聴き、中国の故事「虎渓三笑」(こけいさんしょう)について皆で考えました。題して「三笑の春」(校内LIVE配信)。その内容は、次の通りです。

〇 新年あけましておめでとうございます。今日このように3学期を迎えることができることを、本当にうれしく思います。皆さんはこの冬休み、どのように過ごされましたか。3学期はこの1年のラストタームです。これまで、1学期・2学期と、季節の変化を感じ取りながら、始業式と終業式を重ねてきました。これまでどれだけ「知的な雪かき」ができましたか?このラストタームを迎えるにあたり、今日は、中国の故事を皆で考えたいと思います。

*朗読は、3年所属の英語科でユネスコ・国際交流部主任の鈴木理恵先生です。

それは、むかしむかし、五胡(ごこ)十六国時代の中国のお話です。

その時代の中国は大分裂時代で、隋が中国を統一するまで長い戦国の世が続いていました。

戦国の世では、いつの時代どの地域でも、人々は新しい生き方を求めます。

俗世を離れ廬山(ろざん)という山に建てられた東林寺(とうりんじ)で修業をしていた高僧慧遠(えおん)の元に、久しぶりに二人の友人が訪れました。

ひとりは名を陶淵明(とうえんめい)といい、田園詩人として知られていました。

もうひとりは名を陸修静(りくしゅうせい)といい、道教を学んでいました。

三人は乱世を離れ、いろいろな「道(みち)」について語り合い、楽しいひと時を愉(たの)しむことができました。

東林寺の麓(ふもと)には虎渓(こけい)という川があります。この川にかけられた石橋は、聖域と俗世との境です。

この石橋を渡らないとを誓い、30年間それを守って修行してきた高僧慧遠(えおん)は、二人を見送りながらも会話に熱中して、うっかり、渡るまいと決めていた虎渓の石橋を渡ってしまいました。(その時、虎の鳴き声が聞こえたとか・・。)

それに気付いた三人は 「ありゃー、慧遠(えおん)も渡ってしもうた!」

顔を互いに見合わせた三人は、「あれまあ わっはっは わっはっは ・・・ 」

聖域と俗世の境界の有無をこえて、清友(せいゆう)の交わりを愉しんだ三人の明るい笑い声が、虎渓一帯に響き渡りましたとさ。おしまい。

*鈴木理恵先生、ありがとうございました。皆さん、拍手をお願いします。

〇 さて、この出来事を指す中国の故事を漢字4文字であげてください。何でしょうか?<担任の先生、クラスの生徒にお尋ねください><・・・・>分かりましたか。この問題は漢字検定2級レベルの問題です。いかがですか。では、担任の先生、板書願います。

〇 「虎渓三笑(こけいさんしょう)」ですね。覚えておきましょう。ことわざ的に言えば、あることに夢中になっていて他のことを忘れてしまうことだそうです。そんな経験は誰にでもありますから、そう理解するのも分かります。ただ、東洋画の題材にもなり、茶の湯の世界でもよく取り上げられることからも、三人の賢人を例に出して、彼らでもうっかりする、ということだけとは思えません。

〇 「三人」の「笑い」があって、それが一つになって響き渡るところが大切です。この三人は、異なる教えを信じています。高僧慧遠は、倫理や世界史で習ったかもしれませんが、浄土教(浄土宗)、特に白蓮教の祖、詩人の陶淵明は儒教、そして陸修静は道教の象徴とされています。この三人は、異なる教えを説くが、伝えたい真理は一つであることを指しているという解釈があります。

〇 山にこもって、厳しい修行を続けている高僧慧遠が、30年間守ってきた教えをうっかり破ってしまったことへの反応として大笑いをしました。これは笑ってごまかしたのでしょうか、それとも心の余裕なのでしょうか。もしここに、異なる教えの中に共通して潜む伝えたい真理(悟り)があるとすれば、それは、人としての度量や時として楽観的に物事をとらえること、さらには、物事にとらわれない自由な心の必要性を三人の賢者が悟ったとも理解できると思います。

〇 自分に誓って、固く守り続けていることを貫く姿勢は大切です。しかしながら、失敗しても守るべき道に軌道修正していくことも、また同じように大切なことです。燃え尽きないように、うまく上手に肩の力を抜いた方が良い結果が出ることはたくさんあります。力めば筋肉が硬直し、血の流れも変わり、ひいては脳の活動もスムーズではなくなるということでしょうか。

〇 スポーツ界では、プレー直前にリラックスし、本番で、ため込んだエネルギーをいかんなく発揮できるようにする術(すべ)がコーチングにも取り入れられています。このように考えてみるならば、異なる思想を持つ三人の賢人の笑いは、時代と地域を越えて、昔の人の経験からくる教えが込められているということだと考えます。

〇 私は、この3学期には、「虎渓三笑」がもたらす「三笑の春」(三つの笑いがひとつになった春)を皆で分かち合いたいと思います。やがて訪れる新しい季節には、卒業式と入学式が控えています。

学校長

【My opinion(「知的な雪かき」)】 *「虎渓三笑」について考えたこと(生徒の皆さんからの投稿です)。20220110付

  • 僕はこのお話を聞いて、一つのことに集中するとそれ以外のことに集中できなくなるということを示しているのだと思いました。しかしこの解釈は一般的なものであり、よく考えてみると、何かミスをしても、ずっと引きずるのではなく、笑って乗り切れという、前向きな意味としても捉えることができると思います。虎渓三笑以外の熟語でも、あらゆる方面から意味などを考えることで、これまでにない新しい発見ができておもしろいと思いました。
  • 今まで守ると決意して破らなかったことを気づかなかったとはいえ、破ってしまうほどのいい仲間に出会えたということ
  • 笑ってしまえばマイナスがプラスに変わることもあるのだなと思いました。
  • 虎渓三笑という古事成語を私は聞いたことがなくて、あまり想像できなかったのですが、3人とも立派にそれぞれの道について勉強している真面目な人たちだと思ったので、そういう人でもうっかりしてしまうこともある、とか、失敗も友達と笑い飛ばしてしまえば、大したことはない、みたいな意味かなと考えていましたが、生徒会長が「誰といるかが大事」と仰っていたのを聞いてなるほど!と思いました 私も友達と進路について話をしていますが、進む道は皆バラバラになりそうです。だけど、皆、人のために働きたい、とか、人のためにという気持ちを持って進学したいという気持ちは同じなのかなと思います。少し虎渓三笑の意味とは違ってしまったかもしれませんが、私は虎渓三笑の意味を聞いた後、このようなことを考えました。
  • 虎渓三笑のお話を聞いて、周りの仲間を大切に何事もやっていきたいと思った。
  • 何をするかより誰とするかが大事だと思いました
  • 今はコロナでなかなか人と近い距離で話したりするのが難しいうえに、今は受験で、ピリピリしていて、人と話に熱中吸うのが難しい。でも、こんな、社会が暗く、気持ちが沈んでしまうような時だからこそ、虎渓三笑のように、いろんな立場など時には忘れて、話に熱中して、楽しむことが大事だと考えました。
  • 僕自身は何かを忘れるほど集中した事が無いのでそういった事をしてみます。