名付けと愛着
名付けと愛着
教頭 神谷 吉泰
校内を歩くと、庭園のあちらこちらに、情熱や気合など、さまざまな言葉が刻まれた小さな石碑を見かける。これらは、歴代の卒業生の卒業記念品である。安城東高校では1回生から「○○の△△回生」というように、その回生の特長や、その回生の生徒に寄せる思いを命名してきた。回生に冠する適当な言葉が尽きてしまったのか、この命名の習慣はいつか途切れてしまったようだが、単に数字だけで△△回生というより、自分たちの回生に愛着がわき、一体感を生む効果があったように思う。ちなみに私の属する3回生は、気恥ずかしいが、「飛躍の3回生」である。これは、命名当時、我が回生が「飛躍」的な成果を収めたわけではなく、「栄光の1回生」「躍進の2回生」と比較すると、奔放で学業成績もあまり芳しくなかった我々3回生に、なんとか早く目覚めて先輩たちに負けない頑張りを見せてくれという、学年団の先生方の祈りとも悲鳴ともつかぬ複雑な心情が込められていたと捉えるのは穿ち過ぎであろうか。
いつの間にか消えてしまった伝統は他にもいろいろある。その一つが、体育館や武道場の呼び名である。武道場は開校時からあり、体育館も3回生の入学時には既に竣工していたが、それぞれ「士風館」「黎明館(敷地の東側、陽が昇るところに位置するところから)」と命名され、私たちも在学中そのように呼んでいた。体育館は改修時に外壁が塗装し直されて現在のようなアイボリー色になったが、完成時は「黎明」の名にちなんで壁は赤色、屋根は青色であった。それぞれ朝日と青空の色である。
東高の体育館も武道場も構造上特に他校と変わった特徴があるわけではなく、ごく普通の体育館や武道場である。しかし、「士風館」「黎明館」と呼び、その命名の由来を理解することで、単なる体育館や武道場ではなく、我が東高の、我らの体育館・武道場という親近感が湧いたのは、ことばの力の不思議なところである。
企業宣伝や社会貢献を目的とした、ネーミングライツによる施設名の変更が多くなってきたが、商業主義から離れたところで、身近な施設等に、品格のあることばをつけて皆で親しみを込めて呼ぶのも悪くはないなと思う。