令6 2学期終業式より(R6/12/23)「修学旅行、ふてほど、昭和と令和―自由の中の主体性―」

令和6年も残すところあとわずかとなりました。新年度を目の前にして、みなさん一人一人に思うことがあるでしょう。「あの時こうすればよかった、だから来年こそはこうしよう」など、今もし考えているなら、来年こそはせめてその半分でよいので、実現できるように自主的に努力しましょう。そして来年の終わりには、今年よりアップデートした自分でいましょう。さらにそのアップデートをこれから毎年ずっと続けていきましょう。また、3年生はいよいよ受験が始まります。3年生は今までと同じように、これからも毎日アップデートする必要があります。「来年こそは」ではなくて、「明日こそは」でもなく、「今日こそは」「今こそは」という気持ちで毎日を過ごしてください。最後の受験日まで、やれることはいくらでもあります。最後まで諦めずに粘りましょう。

さて、11月6·7·8日の3日間、2年生のみなさんと一緒に私も修学旅行に行ってきました。今回は新しい試みとして、広域班別研修を取り入れた初めての修学旅行でした。広域班別研修とは、旅行2日目に、あらかじめ班で立てた計画をもとに、広島から大阪の広い範囲の中で、班で行きたいところを自由に廻って、決められた時間までに決められた場所へ集合するというものです。新幹線などの電車での移動も自由行動の一部でしたので、どきどきした人もいたのではないでしょうか。また、広域班別研修時には、私服の着用がOKになったことも新しい試みでした。私服の着用については、生徒のみなさんの意見を生徒会が代表して提案したものが採用されました。広域班別研修も私服の着用の提案も、東校の現在の大きな教育目標の一つである、みなさんの主体性や自主性を伸ばし、自己選択の場を与えたいという学校の思いが形になったものです。東校の今年のスローガンにもあるように、みなさんは東校の中の、そして自分の人生の中の代表選手です。一人一人が自分の意志で主体性をもって行動するようにしましょう。

さて、12月3日に今年の新語・流行語大賞が発表されました。今年の大賞は何だったか知っていますか。今年は「ふてほど」でした。今年の初めにテレビで放映していたドラマの「不適切にもほどがある!」を略した言葉ですね。知らない人も多いかもしれませんが、このドラマは、昭和時代を生きていたスパルタ体育教師が、コンプライアンスが厳しい令和時代にタイムスリップして、その時代遅れの不適切な言動が面白いと評判だったドラマです。このドラマの中でよく流れていたテロップがこれです。「この作品には、不適切な台詞や喫煙シーンが含まれていますが、時代による言語表現や文化・風俗の変遷を描く本ドラマの特性に鑑み、1986年当時の表現をあえて使用して放送します」「あくまで昭和における個人の価値観です」これに似たような但し書きは、昔の映画やドラマを、現代で再放送する時によく見かけますよね。そこで最近よく言われているのが、昭和の時代は、表現がある程度自由で社会も寛容だったが、令和の現代は言いたいことが言えずに、あれも駄目これも駄目だと言われて、不自由で窮屈だということですが、果たしてそうでしょうか。

確かに現代はSNSが発達したこともあって、ちょっとしたことですぐに批判が集まって叩かれたり、炎上したり、あの人はこういう人だとレッテルを貼られたりしてますし、私もそれはよくないことだと思います。ある程度の寛容さは必要です。特に人間関係においては。

しかし、現代は価値観が多様化してきて、社会で受け入れられる範囲が広くなり、他人に迷惑をかけなければ自由度はかえって高くなっているという一面もあります。昔の時代では、確かに現代に比べて他人の言動に対して寛容でしたが、働き方や学び方や男女のあり方などの価値観の許容範囲が狭かったのも事実です。例えば「残業をどんどんやって会社のために尽くすべきだ」「男は、あるいは女はこうあるべきだ」といった、社会で主流だった価値感からちょっと外れると、社会的に受け入れられなくなることが多かったのです。

学校の校則も、昔は髪型や服装、携帯電話の扱いなどで今よりもっと事細かな規定があって、それが守られない場合には、今以上に厳しい指導をする学校が多くありました。それに比べれば、現代のほとんどの学校の校則は、文科省が改訂して出した「生徒指導提要」の方針によって、柔軟なものに変化してきていますし、価値観の多様性が認められるようになり、全体的に学校内の自由度は少しずつ高くなってきています。

しかし、ここからが問題であり、今日私が一番言いたいことでもあります。自由度が高い社会では、行動基準は自分で作らないといけなくて、自己責任の中で主体的で自律的な行動が求められます。また、規則などが守られないと、ペナルティがあり、規則も厳しくなっていくことは昔も今も同じです。その意味では、逆に枠や規制の中で、ある程度縛られていた方が、自分で考えることが少ない分だけ楽な場合もあるかもしれません。

話が難しくなってしまいましたが、要は社会と同じように、学校でも主体的で自律的な行動が求められるようになってきているということです。今日の結論です。これから令和の時代を大人として生きていくみなさんは、今のうちから自分で考えて、自分で選択して、主体性をもって行動することを心がけていきましょう。それが大人になるということでもあります。早く大人になりましょう。