校内の「明治の流れ」が表すもの

安城東高校は、令和3年度で開校46周年となる。繁り合う木々や、校訓、校歌を刻したものを初めとして、点在する石碑等が、たどってきた歴史を物語っている。

その中でも、他校にはない特徴的なものが、庭園の中を流れる水路である。この水路は、明治用水から水を引き、玄関前の築山から池へ流れ落ち、一部地下を通って庭園の所で表に現れて、せせらぎを楽しむことができるようになっている。特に暑い季節は目に心地よい涼感を与えてくれる。

学校創設にあたり、明治用水の関係者の好意、協力をいただいて完成したものだと、在学中に何度も教えられた。苦労して、このように明治用水の水を校内に引いたのはなぜだろうか。

安城一帯は台地で、かつては農耕をするのに、ため池の水に頼るしかない、枯れた土地であった。水不足のため作物がとれず、地域の人々は非常に苦しい生活を余儀なくされたという。窮状を見て立ち上がったのが、明治村(現安城市和泉町)の豪農で、酒造業を営む家に生まれた都築弥厚(やこう)であった。弥厚は用水を開削することを思い立ち、測量を始めた。地域住民からの強い反発を受け,夜中に密かに行わねばならないような厳しい状況下での作業であったという。苦労の末なんとか測量を終え、数度にわたって幕府に嘆願したが、夢が叶う前に病で亡くなった。私財のすべてを投げうち、後に残ったのは多額の借金だけであった。

その後、弥厚の志は受け継がれ、約五十年後に明治用水として結実した。これが、後に「日本のデンマーク」と呼ばれるようになった安城の発展の礎となったのである。このような歴史的背景を踏まえると、明治用水の水を校内に引いたのは、この学校が弥厚を初めとする地域の人々のたいへんな苦労によって拓かれた豊かな碧海野の上に位置する学校であることを目に見える形で示す狙いがあったと思う。

このことは、校歌の二番の「一筋に明治の流れ/ 恵まれて心も深し」という歌詞にも表されている。先人たちの多大な苦労によりもたらされた恵みに感謝して、深い心を養いつつ、地域のそして世界の人々の幸福に寄与できるよう努力していってほしい。

次に、安城東高校の生徒は、荒野を沃野に変えることに挑んだ先人のフロンティア精神や、苦難に屈することのない強い精神力を引き継いでほしいという願いも感じ取ることができる。フロンティアは、眼に見えない微細な世界から身の回り、さらに広大な宇宙空間まで無限大に広がっている。一人一人が興味関心のある分野において自らのテーマを見つけ、探究心を持って挑んでいくことを願っている。

*参考『朝日日本歴史人物事典』

教頭 神谷吉泰